講演会・シンポジウム情報

公開講座「渋谷-青山の都市領域を考える-過去・現在・未来」

第1回 都市領域としての渋谷-青山
2019年6月15日
伊藤毅(青山学院大学)

 いまや東京を代表する現代都市として、先端的な情報発信と洗練されたファッションや食文化を提供する場として、多くの若者や観光客を吸引し続けている渋谷と青山は、東京オリンピックを翌年に控えてさらに大きな変貌を遂げようとしている。
 渋谷-青山がこうした都市の現代性を発揮し始めたのは、戦後1950年代頃からであり、渋谷は関東大震災以降国鉄や私鉄の一大ターミナルとして郊外から流入する多くの通勤者や学生、若者たちが集う一大繁華街として栄えはじめ、かつての道玄坂や宮益坂の町場に上書きされるように商業施設が集積していった。
 一方の青山は原宿のセントラルアパート(1958年)の誕生を契機として、ファッションデザイナーやクリエイティブな仕事を創出しようとする若者文化のメッカとなり、その活動は表参道から青山へと徐々に沁みだしていく。原宿にあったワシントンハイツの影響はやがて青山に及び、わが国初のアメリカ式スーパーマーケット紀ノ国屋が青山通りに開業し(1953年)、日本人のライフスタイルの現代化に大きな影響を与えた。青山が実質的に大きく変貌を遂げるのは、1964年の東京オリンピックであることは周知の通りであり、青山通りが旧来の幅員22メートルから40メートルに拡幅され、オリンピック道路として整備されることによって、周囲の景観は一変する。この機を捉えて青山に進出してきたのが、石津謙介率いるアイビーファッションの旗手VANであった。石津は当初原宿への出店を検討したようだが、ロジスティックの便利さと地形のよさから青山の地をメンズファッションの拠点として選ぶ。このVANの誕生は単にファッションにとどまらず、VANは青山の空室をどんどん借りて都市展開を遂げ、青山はVANタウンとして若者を吸引する場に変貌する。とくに1973年南青山三丁目にオープンしたVAN99ホールは、わずか99円で最先端のアートや音楽が体験出来る場として、先端的な都市文化を発信しつづけた。
 こうした都市の現代化のなかで、青山学院大学の果たした役割も無視できない。青山学院は明治16年に青山にて開校されるが、キャンパスの充実と拡大のなかで、多くの外国人宣教師がキャンパス構内はもとよりその周辺部にも居住したものと思われ、1960年代の住宅地図にはガレージを備えた外国人住宅が多く分布するようになる。彼らの存在もまた青山の現代都市化に一役を買ったはずである。石津がアイビーファッションを提案した時に、アメリカ東部のアイビーリーグと重なるようにして青学の存在を意識していたことは確かである。本講では、渋谷-青山の都市史と今後の展開を考えてみたい。
第2回 渋谷-青山の近代都市史
2019年6月22日
髙嶋修一(青山学院大学)

 渋谷は近世においては大山街道沿いの町場でしたが、明治に入って山手線の駅ができると東京の郊外として都市化が始まりました。昭和に入り現在の東急東横線や京王井の頭線といった郊外電鉄が乗り入れるようになると「郊外」はさらに外延へと広がり、渋谷はたくさんの人々が集まる市街地として賑わいを増し、戦後へとつながっていきます。青山においても、大正期に明治神宮外延としての開発が進むとともに同潤会アパートの建設など市街地化も進んでいきました。戦後はアメリカ文化の影響化でファッショナブルな街として見られるようになっていきます。このような渋谷・青山の近現代におけるあゆみをみていきます。
第3回 近代都市生活の比較史-日本とドイツ
2019年6月29日
永山のどか(青山学院大学)

 第二次世界大戦後の日本の都市生活の変化を、住宅内設備・住宅関連製品や間取りに着目して考える場合、その変化は、欧米式の生活スタイルの導入とその応用というかたちでみられた。欧米の生活様式がいち早く導入されたのは、東京都心部、とくに住宅地と商業地両方の顔をもつ青山であった。1970年代にはすでに輸入家具、輸入雑貨を取り扱う企業が青山に店を構え、また、のちに「ヴィンテージ・マンション」と呼ばれる集合住宅が建設され、欧米式の住宅設備や台所の間取りが採用された。
 では、日本に導入されることとなった欧米の生活様式そのものは、どのように確立されたのだろうか。この点をドイツに焦点をあてて考えてみたい。
1950年代、西ドイツの都市では住宅問題が深刻化し、連邦政府だけでなく、地方自治体においても新築住宅の供給量を増やすために住宅政策が講じられたが、同じ時期に、住宅の質、とくに台所のあり方について、研究機関、地方自治体において議論され、キッチンメーカーも新しい台所のモデルの開発に力を注いだ。たとえば、1980年代に日本でも普及しはじめる、DKやLDKから独立して設計された専用キッチンは、1920年代にドイツで生まれたフランクフルト・キッチンを原型にしていると言われているが、1950年代~60年代において、それをいかに発展させるかについて、家庭のあり方や「主婦」の負担の軽減の観点から議論された。また、今日、日本でも普及しているシステムキッチンの原型は、ドイツのキッチンメーカーが1950年代に開発し、1970年代に西ドイツから日本に輸入されたものであるが、その開発には当時のドイツ人の、台所の近代化、合理化への強い思いが込められていた。日本が導入することになった生活様式は、西ドイツにおいても戦後すでに確立されていたわけではなく、戦後復興期・高度成長期のなかで模索された末に生まれたのである。
 この講義では、青山でいちはやく実現した欧米の都市生活のあり方が、戦後西ドイツでどのように議論され、確立されたのか、という点を、台所に着目して考えてみたい。
第4回 渋谷-青山の都市文化
2019年7月6日
黒石いずみ(青山学院大学)

 渋谷-青山の都市文化を考える上で、その国際的な文化交流が、現代に至るまでこの都市空間や生活様式に影響を与え続けていることは、あまりに当たり前に受け取られているかもしれない。さらに言えば、渋谷を中心として、青山からの都市領域に対して、渋谷のその先の地域、また青山から表参道への地域に対して明治通りを境界とした、鏡の向こう側のような原宿-代々木エリアが、それぞれどのような関係を持って近代化してきたかというように、渋谷-青山-代々木-表参道の関係を、地域空間の国際化の政治学として考えられることもあまりなかったのではないだろうか。
 歴史を振り返ってみると、戦前の青山学院の創設は、カナダやアメリカの宣教師たちによってもたらされた文化と、津田仙や本多庸一らによる日本的なキリスト教文化の解釈との融合であり、地域に特異な魅力を作り上げてきたのだった。また渋谷駅周辺から始まる東急電鉄の開発では渋沢一族による欧米の都市イメージの導入が、また表参道では欧米の集合住宅形式を模倣した同潤会アパートの開発事業があった。そして、戦後には渋谷駅周辺での闇市の勃興に伴い台湾や韓国の人々との国際的抗争が行われたのに対して、代々木のワシントンハイツのGHQによるアメリカ文化の導入と、それをきっかけに宇田川町あたりでアメリカ大衆文化が広がったこと、また表参道周辺では占領軍を対象とした新たな商業圏が成立して、その後の都市的消費文化圏が形成されたことは、この地域の国際的な空間政治学として興味深い。
 本講義では以上のような視点から、現代の日本に深く根ざしたアメリカ文明との関係を、いわばそのパイオニア的存在としての青山学院の位置を中心として、青山学院の資料館の資料やアメリカの国立公文書館の資料、地域の歴史資料、そして青山・表参道の商店会の方々の資料を参考にして紐解いてみたい。
第5回 広域渋谷圏と駅・電鉄
2019年7月13日
平江良成(東京急行電鉄株式会社)

 東京急行電鉄株式会社、いわゆる東急電鉄という会社は、名前の中に電鉄という文字があるので、単なる鉄道会社と思われている人も多いと思うが、東急電鉄の社員は、自分たちの会社を「まちづくり」の会社だととらえている。東急電鉄は3つのコア事業を実施している会社で、その3つのコア事業とは、鉄道事業、都市開発事業、生活サービス事業である。なぜ、東急電鉄は、自分たちの会社を鉄道会社と言わず、まちづくり会社というのか?それは東急電鉄の成り立ちが関係している。東急電鉄のルーツは、田園調布を作った田園都市株式会社であり、この会社は渋沢栄一が作った会社であり、英国の「GardenCity」を日本にもつくるために、創設された会社である。(詳細は本講義で説明していく。)
 東急電鉄はこれまで、まちづくり会社としてのビジネスモデルを確立してきた。その最大の功績が、東京西南部に広がる約5,000haの土地区画整理事業と新規鉄道敷設とによる民間企業最大のまちづくりである「多摩田園都市」の建設である。
 東急方式と呼ばれた一括代行方式の土地区画整理事業を展開し、かつ多摩田園都市と渋谷を代表とする都心を結ぶ田園都市線の敷設。この二つによりできた街は、東急電鉄に都市開発事業と鉄道事業の双方の利益をもたらした。さらにその街に生活サービス事業を実施することで、街の魅力を高めると同時に、新たな収益源を獲得できている。
 このように、鉄道、都市開発、生活サービスの3つのコア事業を展開しているのが東急電鉄である。東急電鉄が単なる鉄道会社ではないということは、このことから理解していただけると思う。
 そのまちづくり会社である東急電鉄が、今一番推し進めているのが、渋谷の開発である。東急電鉄は3つの日本一を目指している。一つは東急線沿線を日本一住みたい沿線にすること、二つ目が、二子玉川を日本一働きたい街にすること、最後が、渋谷を日本一訪れたい街にすることである。
 本講義では、渋谷を日本一訪れたい街にするために、取り組んでいる内容について、説明するとともに、今後の渋谷の街のあり方について、また、東急線沿線のあり方について等を共有し議論していく。

2019年度 連続レクチャー・シリーズ

渋谷 青山の近代都市計画史~渋谷・青山はなぜ上質な街になったのか
2019年7月25日 18:30~20:30
青山学院大学
越澤明(北海道大学名誉教授)

 近現代都市計画史を専門とする越澤明先生による、渋谷・青山の第二次大戦前までの都市の構造や空間の状況を、豊富な地図史料を使って読み解いた大変情報量多いレクチャーが行われた。
 まず「1平安~江戸:渋谷青山原宿の起源と原風景」で中世までさかのぼった歴史に触れ、中世領主である渋谷氏や、縁のある金王八幡宮などの古い要素を確認し、朱引き図などを見ながら江戸期の村、宿、街道の構造が解説された。
 次に「2明治の旧大名屋敷の転換と渋谷青山」「3高等教育機関と皇族邸の西方(渋谷・青山方面)への移転と集積」では、近世期までの大規模武家屋敷の土地が明治初期に中央官庁と軍によって確保され、明治政府のために読み換えられていった経緯が解説された。開拓使がいったん押さえた敷地は、細分化せずに皇族・華族邸や学校に転用されていく傾向がみられると指摘された。
 続いて「4都市計画から見た明治大正前期(震災前)の渋谷・青山」「5明治神宮造営、帝都復興事業、アヴェニューの誕生」では、記録や研究の乏しい赤坂・青山一帯の市区改正について、地図を読み解いて道路計画の進展や縮小を跡付け、大正期の明治神宮造営によって誕生した表参道=広幅員の並木道が、渋谷・青山が上質な街となった直接的要因だと評価した。また、関東大震災からの復興事業において、明治通り(東京初の環状道路)などの東京全体の骨格となるインフラの整備経緯に触れた。
 最後に「6昭和初期、渋谷のターミナル化、副都心の芽生え」「7渋谷・青山付近とその背後地の住宅地」で、より広域の東京の要である渋谷駅周辺の開発を整理し、都市化によって渋谷・青山の山手線外側にも高級住宅地が形成されていったことを示した。
 これまでの越澤先生の研究・知見を総動員し、東京全体および日本統治時代大陸の都市計画なども参照しつつ、渋谷・青山の空間形成の歴史を学ぶ非常に貴重な機会となった。
開催の模様
明治神宮の100年~私が出会った造営にゆかりの人々~
2019年9月25日
今泉宜子(明治神宮国際神道文化研究所主任研究員)

 全体を2部構成とし、前半はとくに明治神宮造営に参画した青年団の記録に注目して、地方の一青年にとって明治神宮という経験はどのようなものだったか、具体的な事例が報告された。
 まず「青年団の父」と呼ばれた田澤義鋪。下村湖人の『次郎物語』の主人公次郎が心酔する青年塾の理事長として田沼先生が登場するが、このモデルとなったのが田澤であって青年団のリーダーであった。一方、山口県阿武郡の奉仕青年団として参加した金子俊介、出羽信一、青年奉仕団の成立背景に関わった田中義一、滝口明城、小尾晴敏などの存在はほとんど知られていない。明治神宮史を回路とすることで、いままでまったく光の当たらなかった近代史のさまざまな側面が有機的につながりながら浮かび上がってくる。
 後半は「私が出会った造営にゆかりの人」として2名をゲストとしてお招きし、子孫の視点から見た明治神宮について語っていただいた。1人目は、青学の近隣、南青山で不動産業を営む中澤慶人氏。中澤氏の曽祖父、大溝勇氏は、明治神宮造営局技手として境内林の造成に関わった人物である。2人目のゲストは兜谷郁之氏で、この研究会のために兵庫県武庫川市からご参加いただいた。郁之氏の祖父、兜谷栄蔵氏は明治22年、岐阜県神岡町船津生まれ。宮大工として、大正8年に明治神宮北鳥居建立に携わっている。中澤氏と兜谷氏が当日持参してくださった貴重な所蔵資料が会場で閲覧に供せられ、さまざまな情報交換がなされた。
開催の模様
渋谷学の成果と課題
2019年12月4日 18:30~20:30
青山学院大学
上山和雄(國學院大学名誉教授)・秋野淳一(國學院大学学研究開発推進センター)・手塚雄太(國學院大学准教授)

 國學院大学で2001年より「渋谷学」研究を牽引してきた歴史学の上山和雄先生と、その共同研究者である秋野淳一先生、手塚雄太先生によって、三部構成のレクチャーが行われた。「渋谷学」は5巻からなる民俗・文化・地理・歴史など幅広い論考を収めた「渋谷学叢書」に結実し、渋谷の歴史をひもとく上で不可欠な文献となっている。
 Part1「総論」は上山先生より、これまで3期にわたって展開してきた「渋谷学」発足経緯、背景にあった地域研究への関心、20世紀末から21世紀初頭に全国の様々な大学が取り組みはじめた諸々の地域学への目配り、学として成立しうるかという問い―地域を研究すれば学になるというものではなく、その地域のハッピーな、ポジティブな面だけをことさら取り上げたり、逆に卑下したりせず、客観的視点が必要であるということ―、公開講座の発展経緯についてお話しいただいた。
 次にPart2「民俗・宗教からみた渋谷」は宗教社会学を専門とする秋野淳一先生からお話しいただいた。都市民俗と宗教社会学の研究史を手短に解説しつつ、民俗については渋谷の空間認識、生活者と来訪者・外来者、生活実感とイメージ、日常と非日常の対比、宗教については社会変動と宗教、実態的定義と機能的定義の両面、宗教学の地域研究などをキーワードにお話しいただいた。課題として、都市独自の民俗文化を発見できているのか検証が必要なこと、研究成果の地域への還元方法の模索が挙げられた。
 最後に手塚雄太先生からPart3「歴史・経済からみた渋谷」をお話しいただいた。歴史については、近世渋谷の町場と近郊農村の二面性、近代の盛り場と都心近郊としての二面性をおさえた上で、現代についてオーラルヒストリーの成果が紹介された。経済については、東急電鉄などが中心となって進行中の再開発による「広域渋谷圏」構想、渋谷区政の変化が論じられた。課題として、研究対象範囲の伸縮の問題、利害関係者としてどうかかわるか、貧困問題などネガティブな面にも取り組んでいくべきであることが挙げられた。
 青山と渋谷を大きな一つの領域と捉えて研究対象とする青山学院大学総合研究所の本研究ユニットにとって、不可欠の諸論考を編著者の方々に解説していただく非常に貴重な機会となった。
開催の模様
【基調講演】ポリスとは何か-アテナイの場合
2019年12月14日
桜井万里子(東京大学名誉教授)
共催:都市史学会
 都市を語るうえで、古代ギリシアにおいて形成されたポリスは重要な意味を持つ。今回の基調講演では、東京大学名誉教授である桜井万里子先生をお招きして、「ポリスとはなにか」と題して古代ギリシアでのポリス、特にアテナイにおけるポリス成立の背景や貴族の出現とその特性についてご講演いただいた。司会に同じく東京大学名誉教授の樺山紘一先生をお迎えし、講演は大変盛況なものとなった。
 質疑応答では、古代ギリシアにおける公私の考え方や女性の権利の位置づけなど、さまざまな視点から大変重要な議論が交わされた。今回が来場者にとって重要な気づきを得る機会となったことを確信する講演であった。
開催の模様
VAN と青山
未定
石津祥介・石津塁(石津事務所)
社会的共通資本と都市
2020年2月3日 18:30~20:30
間宮陽介(京都大学名誉教授)

 経済学研究の間宮陽介先生によって、「社会的共通資本」と都市をテーマとするレクチャーが行われた。間宮先生は、数理経済学研究の泰斗で研究者人生の後半を「社会的共通資本」の研究に捧げた宇沢弘文の教えを東大経済学部で受け、それを現在に継承している。
 レクチャーは二部構成で、前半は「宇沢弘文の社会的共通資本」と題し、宇沢が唱えた社会的共通資本についての解説と、そこで不足していた視点の指摘がなされた。そもそも宇沢が提唱した「社会的共通資本」概念は既存経済学とそれが推進してきた新自由主義の大きな弊害や非人間性への強い批判から生まれてきた概念で、「人々が生存し、生活を営むために重要な役割を果たしているもので、社会にとって共通の財産として、社会的に管理されているような希少資源」を意味する。従来の経済学では、すべての財サービスは価格をつけて市場で販売されるものだが、公共財は例外―非競合性と非排除性をもつもの、無料放送、空気、国防、知識などが例として挙げられる―であり、それは市場経済の外にあるものと位置付けられてきた。だが宇沢は市場経済の価値を認めたうえで、市場経済が安定的に存立するためには社会的共通資本の存在が不可欠で、非市場(=社会的共通資本)の中に純粋市場が埋め込まれた状態の広義の市場経済について考えた。宇沢は都市もまた社会的共通資本と述べたが、その見取り図を大きく展開させることなく世を去った。
 後半は「社会的共通資本の展開」と題し、都市=社会的共通資本の輪郭をどのように深化させるべきか、事例に基づくいくつかのポイントが示された。都市を要素の集合体としてではなくまとまりをもつ全体として捉える必要性、市民にとって安全な環境をつくるために公的空間と私的空間のグラデーションが必要であること、都市の活性化には多様性と「需要が供給を創り出す」という観点が必要であること、都市のトポロジカルな形への着目、などである。これらの視点に基づいて青山界隈を見ると、私的領域が公的領域に近接していることが独特の魅力になっていると指摘された。そして、都市の空間論を論じることは、社会科学で退けられる社会の善悪論を政治的公共空間の空間論に回収して評価することを可能にし、社会的共通資本に内在する規範性を論じることができるという視点が示された。社会的共通資本の概念を巡る諸問題はレクチャー参加者たちを大いに触発し、建築設計や都市再開発をめぐる活発な議論が行われた。
開催の模様
番外編 「建築家・内藤廣を囲んで」
2019年12月18日 18:30~20:00
青山学院大学3号館3410教室
内藤廣(建築家)×小林康夫(青山学院大学総合文化政策学部特任教授)×伊藤毅(青山学院大学総合文化政策学部教授)
正面左から小林康夫・内藤・伊藤毅
 退職を2020年3月に控えた小林康夫と伊藤毅の合同企画。共通の友人・先輩であり、建築設計のみならず震災復興、まちづくり、建築と土木の架橋など、さまざまな場で活躍する内藤廣を招いて行ったトークセッション。
 内藤が建築の道を選んだのは、近所のおじさんの影響。そのおじさんとは分離派建築会で名を馳せた山口文象だった、という驚きの事実からはじまり、建築家になるのが嫌で日本を飛び出してスペインのフェルナンド・イゲーラス建築事務所で過ごした日々、帰国の途上で経由したシルクロードで目にしたアレクサンドロスの夢の跡の廃墟、菊竹清訓建築設計事務所につとめることになった理由など、建築家内藤廣の内的核心に迫る話題が満載であった。「建築は99パーセントが技術である」と言い切る内藤の代表作「海の博物館」が、小林と内藤を引き合わせるきっかけとなった。
 東日本大震災後、内藤と伊藤は同じ委員会で顔を合わせるが、建築ができることの少なさ、この震災を機に世界は変わっていくだろうと考えていた期待が脆くも崩れてゆくプロセスなども話題にあがった。内藤は震災後、被災地に200回以上足を運んだし、伊藤はそれまでの都市史から領域史への転換をはかった。小林はモダニズムへの懐疑をさらに深めた哲学的思考を展開していく。
 この3人は2005年に東京大学で開催された墓地をめぐる勉強会で同席する。この時の中心のテーマになった墓地はもとより、死生、廃墟、沼、荒れ地などさまざまな話題が飛び出した。会場にはユニットメンバーはもとより学生・院生など大勢の聴衆がつめかけ、盛況のうちに1時間半のトークを終えた。

2019年度都市史学会大会企画

シンポジウム「歴史のなかの現代都市」
参加者数:158名(2日間延べ)
2019年12月15日
青山学院大学青山キャンパス 14号館12階大会議室

 われわれがふだん生活し活動している拠点は多くの場合、現代の都市である。現代はつねに進行形として推移していくので、過去との連続/断絶がどのように起きているのかを明らかにすることは難しい。歴史的時代区分として古代、中世、近世、近代については多少の幅があるものの多くの研究者のあいだで一定の共通認識がすでに定着していると言ってよいが、近代と現代の境目や歴史全体のなかの現代という時代を特定する指標を明示することはきわめて困難である。
 今回の都市史学会の大会ではさまざまな時代や地域を専門とする研究者が一堂に会し、みずからの専門領域の研究を通して、現代都市を浮かび上がらせることが目標である。現代都市そのものを論ずるのではなく、それぞれの時代や地域に立脚して歴史のな かから現代都市を逆照射することを試みる。過去に存在した何らかの都市的要素のなかで現代都市に継承されているもの、あるいは断絶してしまったものを意識化することによって、われわれが現在日々体験しているにもかかわらず、よくわからない現代という時代、あるいは現代都市を考えるひとつのきっかけにしたい。

シンポジウム プログラム

12月14日(土)研究発表

  • [報告] 応仁・文明の乱後の酒屋・土倉と「武家被官」について = 酒匂 由紀子(立命館大学)
  • [報告] 近世有馬温泉町の石垣を用いた都市形成の変遷について = 中村 駿介(東京大学)
  • [報告] 近世江戸の街路とジェンダー-長谷川雪旦筆≪江戸名所図会≫挿画の研究 = 安永 麻里絵、ガムゼ・サイギ(アムステルダム大学)
  • [報告] 横須賀中心市街地における防火建築帯及び防災建築街区の建設について = 亀井 泰治(関東学院大学)

12月15日(日)シンポジウム

  • [趣旨説明] 伊藤 毅(青山学院大学・東京大学名誉教授/建築史)
  • [報告1] 北村 優季(青山学院大学/日本古代史)
  • [報告2] 河原 温(放送大学/西洋中世史)
  • [報告3] 桜井 英治(東京大学/日本中世史)
  • [報告4] 中野 隆生(学習院大学/西洋近代史)
  • [報告5] 妹尾 達彦(中央大学/東洋史)
  • [コメント1] 池田 嘉郎(東京大学/近現代ロシア史)
  • [コメント2] 北河 大次郎(文化庁/土木史)
  • 討論
開催の模様